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大丈夫、世界はまだまだ面白くなる

気がつけば思い出話しかしなくなったあなたへ

「あのバンド勢いなくなった」ってオマエが飽きただけ

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熱というのは往々にして冷めるものです。

それにはいろいろな理由があるでしょう。

飽きたから、もっと好きなものができたから、体力がなくなったから等々。

 

一方、趣味がないと生きていけない人種もいます。

それは音楽だったり漫画だったりいろいろあるでしょう。

ずっと同じ趣味の人もいれば、多趣味な人、次から次へ転々とする人等々。

 

今回はそんな趣味について、ちょっと長話をしたいと思います。

 

僕は一時期、狂ったようにヒップホップが大好きでした

幼稚園から高校までゲーム三昧だった少年は一転、大学の4年間をヒップホップに捧げました。

あんなに好きだったゲームを全然やらなくなったのです、漫画も読まなくなりましたね。

それくらい僕にとってヒップホップという音楽が衝撃的で刺激的だったのでしょう。

そしてレコ屋巡りやクラブ通いも始まり、いよいよ手がつけられないほどになりました。

 

大学を無事に卒業し、就職、結婚、ここで僕は一つのターニングポイントを迎えます。

就職して自分の時間が減り、結婚して嫁さんと過ごす時間が増えました。

ペットを飼ったり、一緒に映画を見に行ったり、二人で共有できるものの比重が大きくなりました。

 

そうこうしている間にどんどんヒップホップへの熱が冷めていったのです。

僕はそれまで「ヒップホップがなくなったら生きていけない」とさえ思っていました。

しかし、いざその状況になったら「案外平気かも」と思えてしまったのです。

それからというもの、病気のように買い集めていたCDやレコードはピタッと止まり、音楽にお金を落とすという習慣がなくなりました

(これについては、サブスクリプションの主流化も大いに影響しています。)

 

最初のうちはバガボンドの宍戸梅軒さながら、「ディグの螺旋から、俺は降りる」みたいなある種悟ったような気持ちでした。

けれども、ツイッターを見ていると今までと変わらずヒップホップに己の時間とお金を捧げ続ける熱心なリスナーが数多くいます。

彼らの話している新人アーティストや最近話題の新譜、全然わからなくて話について行けません。

そこで僕はツイッターのアカウントを消しました。

元々ヒップホップのために始めたツイッターだったので、役割を終えたアカウントに用はないですし、楽しそうにヒップホップを語らう彼らを見ているのがつらくなったというのもあります。

 

しかし、そこはツイッター中毒者、僕はすぐさま新しいアカウントを始めます。

それが今のアカウント、当初はゲーム用として作成した@salamipizzadogです。

(結局、ヒップホップが恋しくなってまた昔の人たちをフォローしてしまいましたが。)

 

では、なぜ大学の頃から離れていたゲームの熱が再燃したのかといいますと、当時はすでにPS4全盛期でしたが、僕は高校のときに買ったPS3しか持っていませんでした。

そして、たまたまネットで見かけた『DARK SOULS』というゲームをプレイしてみたのがすべての始まりでした。

5年以上眠り続けていた僕のゲーマーの血が目を覚まし、急ぎPS4WiiUを買い、過去の空白の埋め合わせをするかのごとく、暇さえあればゲームをするようになりました。

それと同時期にNetflixにも加入しまして、嫁さんと一緒にアニメを見るのが日課となり、これまた漫画の熱も再燃したわけであります。

 

前置きが死ぬほど長くなり恐縮です、ここから本題です。(ここから?!)

 

ヒップホップの熱が冷めた僕ですが、未だ続いているインターネットの友人はヒップホップ関係でつながった人たちが多いです。

あるとき、彼らと話していてふと気がつきました。

僕は思い出話しかしていなかったのです。

当たり前ですよね、情報が数年前から止まっているので新しいことは何も知りません。

Spotifyのプレイリストを見ても昔よく聴いた曲ばかりで新曲は数えるほど。

そのとき、とてつもない疎外感を覚えました

あ、もう僕の居場所はここにはないんだな、と。

(そう思ったから前のアカウントを消したわけですが。)

それから僕は『ヒップホップ』という大きなテーマで何かを語ることをやめました。

最前列にいない者にカルチャーを語る資格はなく、カルチャーに対しても失礼です。

そこで「もう一度あの頃のようにヒップホップを聴きまくろう!」という考えに至らなかったのが何よりの証拠ですね、もうそこまでの思い入れはないのでしょう。

もちろん、好きという気持ちは変わらないので、今でも少しずつ気になるアーティストやアルバムを聴くことはしています。

なので、最近の僕はアーティスト単位やアルバム単位でしか言及しないようにしています。

「ヒップホップとは~」みたいな切り口で語れるほど、今の僕は知識も情熱もありませんので。

 

昔好きだったものへの興味関心がなくなる喪失感はなんとも言いがたいです。

それは自分のせいかもしれないし環境のせいかもしれない、でも別に悪いことでもありません

僕の場合はゲームという趣味と再会しました、おかげでとても充実しています

 

しかし、僕の友人にこんな人がいます。

 

彼も僕と同じで、ちょっと前まではヒップホップが大好きでした、それこそ狂ったように。

今となっては熱も少しずつ冷めて、自ら掘り下げるほどの行動力はありません。

加えて、ちょっと前までは漫画やアニメも好きで、お互い好きな作品について語ることもあります。

今となっては新しい漫画やアニメを見始めても続かず、苦痛ですらあるそうです。

彼は落ち込んでいました、あんなに好きだったものへの興味関心が薄れていることに。

一言でまとめると、新しいものを摂取する体力と情熱がなくなってしまったのです。

今の彼は無趣味の状態に近く、それは趣味に生きてきた人間にとって本当につらいことでしょう。

 

ただし、これはもう一つの見方もできます。

僕が『DARK SOULS』のおかげでゲームの世界に戻ってきたように、彼も"やる気スイッチ"を押してくれるものに出会えてないのかもしれません。

たとえば○○を聴けばヒップホップにまたハマるかもしれない。

たとえば○○を読めば漫画にまたハマるかもしれない。

別にヒップホップとか漫画みたいな大きなテーマで好きになる必要もなく、特定の好きなアーティストや作品ができるだけでもいいでしょう。

 

彼に聞かれました、「君はどうやってゲームへの"好き"を維持しているのか」と。

僕は趣味というものは義務感、使命感とはほど遠い概念だと思っています。

でも残念なことに、熱というのは往々にして冷めるものです。

それにはいろいろな理由があるでしょう。

飽きたから、もっと好きなものができたから、体力がなくなったから等々。

 

そんな中、"好き"を維持するためには一定の能動性、主体性が求められます

好きだから能動的になれるのか、能動的だから好きでいられるのか。

ほとんどの人は前者でしょう、好きで好きでたまらないからどんどん進める。

 

しかし、一度その螺旋から降りた者にそんな気力はありません。

一方、趣味の本質として、無理をして好きになる必要もありません

つまり、また好きになれるものとの出会いを待ったりきっかけを作るのが理想ですが、そのためにはアンテナを張ったり、気になるものはチェックしてみるなど、最低限の努力はしなければなりませんね。

 

趣味を海とすれば、僕らは船です。(いきなりどうした?)

はじめにこぎ出すにはそれなりの努力が必要です。

一度海に出てしまえばあとは流れに身を任せるだけ。

気ままに浮かんでもいいし、仲間を増やしてもいいし、別の船と競ってもいいし、深いところに潜ってもいい。

その海が肌に合わなければ、また別の海にこぎ出せばいいのです。

 

ちょっと何言ってるかわからない感じになってきたので今回はこの辺で、ありがとうございました。

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