人は変わる。
もっと言えば変わる人と変わらない人がいる。
もっともっと言えば変わる部分と変わらない部分もある。
おれは変わった。らしい。
今回も気持ち悪い自分語りだけど、なるべく周囲からの客観的な意見をもとに書いていく。
こんなブログ誰がまじめに読んでくれるのか知らんけど、ブログなんて自己満だしね。
最近のおれしか知らない人に「昔は尖ってたって聞くけどどんな感じだったんですか」なんて聞かれることがある。
あれは尖ってたなんておもしろエピソードみたいに話せるもんじゃなく、ただの痛いやつだった。思い出したくもない。
前にブログに書いた通り、おれは長年の洗脳が解けて、マジキチクルーという存在と出会う。
salamipizzadog.hatenablog.com
ある意味では、ここで最初の変化をしたのかもしれない。
ずっと鎖国してたやつが外界との接点を持ち、グループをはじめいろいろな人と関わりを持っていく。
当時の主戦場はTwitterだった。(今もか)
インターネットでの立ち回り方を勘違いしたのと、おれのねじ曲がった性格が化学反応を起こし、毒舌=おもしろいと思い込んでしまったおれは、とりあえず攻撃的なツイートばかりして、曲でもそのキャラを通した。
ツイートに関してはウケるときもあればウケないときもあったし、それで関係ない人を傷つけたり敵を作ってしまった後悔もある。
ただこれに関しては「キャラ」を演じてた部分もあって、実際のおれは絵に描いたようなネット弁慶で、リアルで会うと普通の少年だったかもしれない。
いずれにしても当時のおれにとってTwitterはすべてだったし、そこでの立ち回りが死ぬほど痛かったのは事実。
一方で、それでもおれと仲良くしてくれたグループのメンバーはもちろん、気にかけてくれたHAIIROさんやCandleさんのように、あの頃があったから今も繋がってる人もいるので、一概に否定できるものではない。
過去があって今があるというのを痛感させられる、おれとしては思い出したくもない、でも完全に否定もできない第一の変化である。
第二の変化はかれん(妻)と出会ったとき、これは自分でもわかるくらい顕著だった。
一言でいうと「丸くなった」、当時いちばん周りからいわれた言葉だ。
おれの親も「息子を真人間にしてくれてありがとう」とかれんに感謝してたほど。
かれんとの世界ができて、極論そこが充実してればほかはどうでもよくなった。
とは言えTwitterもグループも変わらず続けてたし、完全な「丸」にはなってなかった。
丸くなったというよりちょっとだけ角が取れたって感じ、still痛いやつ。
第三の変化は子どもが生まれたあたりかな。
これはよく言われることだけど、子どもが生まれた瞬間に親になるのではなく、子育てと子の成長を通じて自分も少しずつ親になっていく。
特に父親側はこれが当てはまるケースが多くて、おれはドンピシャこれ。
子どもの世話はほとんどかれんにやらせて、自分は平気でゲームしてた。家事はやっても育児はしてなかった。
そしてそれに無自覚だったし、何ならちょっと育児に手出しただけでおれ育児やってんな~くらい思ってた。
Twitterで流れてくるダメ夫(ダメ父親)みたいなツイートを見て鼻で笑ってた。おまえだよ。
最近になってやっとこれが改善されて(きっかけは不明)、かれん曰くおれも育児をできてる。
今までどれくらい自分が何もやってなかったのか痛感できるくらいには、俯瞰して自分や家庭を見ることができてる。
この変化は親としての成長過程でもあるので、これからも緩やかに続いていくと思う。
ここら辺でちょっとわき道にそれると、第二の変化と第三の変化の間で、地味な、でもおれにとっては意味のある小変化があった。
それはTwitterをやめたこと。
これは過去のブログとも内容が被る部分ではあるので、さっくり書いていく。
今のアカウントしか知らない人にはわからないだろうけど、第二の変化あたりまではマジキチクルーのさっきー(MCキムチババア)としてTwitterをやってた。
でもかれんと結婚して、就職して、徐々に音楽から気持ちが離れたタイミングで、もうTwitterをやめようと思った。
そして実際にアカウントを消した。
それと同時期に、おれは何の気なしに開いたYouTubeで『ダークソウル』というゲームを知る。
おれは元カノに洗脳されたころから、それまで三度の飯より好きだったゲームから完全に別離してた。
ゲーム機もほこりを被った初期ロットのPS3しか持ってなかった。
おれが鎖国してる間に、Wiiが終わってWiiUが出て、PS4もPS4スリムもPS4Proも出て、まさに浦島太郎状態だった。
おれが『ダークソウル』を知った時点ですでにダークソウル3の発売日はアナウンスされてた気がする。
眠り腐ってたおれのゲーマー魂が7~8年分の衝動とともに目を覚ました。
インペルダウンで解毒された直後のルフィのように、おれはダークソウルとダークソウル2とブラッドボーンを貪り食った。
そしてWiiUも買って死ぬほどスプラトゥーンやってブチギレてた。
そんなこんなでTwitterがないとゲームの最新情報をキャッチできないことから、新しくゲーム用のアカウントを作った。
それが今のsalamipizzadog。
当初は同じゲーム仲間しかフォローしてなかったので、そこではもうすっかり牙の抜けた狼、ただの犬である。
今となっては過去のフォロワーとの交流も復活したり、よくわからない雑多なアカウントになってしまった。
何が言いたいのかというと、今も昔もTwitterをやってることに変わりはないのだが、スタンスが明らかに変わった。
昔は一日中Twitterに張り付いてて、ちょっとでもおもしろそうなトピックがあれば秒で食らいついてた。
文字通りTwitterがすべてだったし、周り(フォロワー)からどう見られるかばかり気にしてた。
今はもう自分がツイートするときしか開かない、タイムラインなんて全然見ない、時事ネタや流行りのトピックには触れない。
噂話が好きだな ほかにやることねーのかクズが 人のことより自分のことだろ
ってSTICKYも言ってたしな。
ということで、だいぶ内面的な変化なのでわかりにくいとは思うが、おれにとっては大事な変化だった。
そして最後、第四の変化は「友だち」。
おれは友だちなんていらねーって思ってた、それは友だちがいないことの裏返しでもあった。
おれにとってマジキチクルーの面々は友だちというよりメンバーという感覚。
これはグループを組んだことのある人ならわかると思うけど、精神的距離が特殊というか、うまく言葉で説明できない。
2年前の12月(だったと思う)、かれん経由でとあるDiscordの鯖に招待された。
かれんのフォロワーのゲーマー女子がAmong Usをやりたいということで人を集めてた。
その手のパーティーゲームには苦手意識があったけど、おれもその人とは相互フォローだったし、1回くらいならと参加してみた。
そこにはそのゲーマー女子の友だちとか兄貴とかその奥さんとかゲーム仲間とかが混在してて、初見ではだいぶ混沌とした鯖だった。
一通り自己紹介を受けたものの、名前とアイコンと声が一致しないし、どういう距離感で話していいのかもわからなかった。
今だから言うけど、友だちなんていらねー主義者のおれだったし、仲良くなれそうにはないな、と漠然と思ってた。
というより、積極的に仲良くなろうとは思ってなかった。また呼ばれたら...くらいの感じ。
でもアモアスを何回か重ねるたびに、それぞれの為人がわかってきて、会話するのが楽しくなってきた。
単純に年齢が近かったり、好きなゲームとか漫画とかアニメがいっしょだったり、中には某バンドのメンバーがいて音楽談義で盛り上がったり...。
とても素晴らしいことに、その鯖には「いいやつ」しかいなかった。みんながみんな「いいやつ」だった。
おれはその鯖に普段仲良くしてる後輩くんも誘ったら、今度はDead by Daylightとか趣味の格闘技とかよくわからん化学反応をもたらしてくれた。
それからしばらくはみんなで遊ぶのが当たり前になり、マルチのないゲームは苦痛ですらあった。
この鯖のメンツとの出会いはおれの中でとても大きなもので、間違いなくおれのゲーム人生を変えるものだった。
でも大事なのはここから、おれが今回のブログで言いたい本題はここから...
オンラインで仲良くなるとオフラインで会おうってなるのが世の常であり、我々も例に漏れずその流れに至った。
でもおれは依然として友だちなんていらねー主義者だったので、彼らを友だちとは認識してなくて、あくまでもゲームフレンドという感覚だった。
(たぶんそんな斜に構えた考え方をしてたのはおれだけで、ほかのみんなはお互いを友だちだと思ってたんだろうな)
ことし1月、後輩くんが彼らの街を訪れて酒を飲み交わしたことを皮切りに、我々のオフ活は動きはじめる。
この鯖には行動力が服を着て歩いてるような男がひとりいて、ことしに入ってからなんと3回もこっちに遊びに来ている。
毎回飛行機と新幹線に乗ってだ、はっきり言ってあたまおかしい。
でも聞けば、彼にとってかれんや後輩くんやおれは久しぶりにできた「友だち」らしく、募る想いがあるようだ。
じゃあそのイカレた行動力に呼応するように、今度はおれが彼らの街に行くかとなると、答えはNOだった。
しかし今回、行動力が服を着て歩いてるような男ともうひとり、司法書士試験に臨むストイック青年の2人が遊びに来た。
行動力が服を着て歩いてるような男曰く、今までの一泊二日では足りないということで、今回は二泊三日で我が家に泊まってくれた。
みんなでタコス食べたり観光したりお祭り行ったりボドゲしたりUNOしたり、やってることは当たり障りのないもの。
それでも、そういうTHE友だちとの交流をスキップした人生を送ってきたおれとしては、なかなか響くものがあった。
楽しい楽しい三日間を終えて、おれは自然と「今度はおれが行こう」と思った。
おれの友だち観の変化というか、今までずっと行く気のなかったおれが、自発的に自然と行きたいと思えた。
これはやっと彼らを友だちと認識したとかではなく、たぶんずっと前から友だちと思ってて、彼らがおれに向けてくれる純度100%のピュアな友情に打たれて、おれが素直になれたんだと思う。
おれにとっては非常に大きな変化であり、齢32にしてやっと「おれには友だちがいる」といえる気がする。
何をもって友だちなのかはよくわからない。
ゲームだけいっしょに遊べればいい、別に会いたいとは思わない人もいる。
Twitterで交流できればいい、別に会いたいとは思わない人もいる。
でも彼らに関しては、いっしょにゲームしたいし通話したいし会って話して遊びたいと思う。
そう思わせてくれる人間的な魅力がある。
そしてそれを裏付ける行動力、こっちの街までわざわざ足を運んでくれたという事実。
好きなら好きって言おう、その次は態度で示そう、最後は行動で証明しよう。
友だちいっぱいはいらない、No New Friendsってのは今のところ変わらない。
前にも言ったけど、おれの好きな人たちがおれを好きでいてくれるからおれはおれを好きでいられる。
友だち、大事にしよう。