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大丈夫、世界はまだまだ面白くなる

ポジティブでつながりたい

僕にも毒づくのが面白いと思っていた時期がありました。

中二病に近い感覚ですね、端から見れば痛い以外ないです。

「歯に衣着せぬ物言い」と「攻撃的な物言い」は別物でした。

 

それと陸続きの話で、僕は基本的にネガティブを求めていません。

できることならポジティブなことだけ考えていたいです。

ここで言う「ネガティブ」をもう少し具体的に示すと、悪口や誹謗中傷、否定的なコメントを指します。

それも含めて言論の自由なので他人がそれを否定することはできませんが、好き嫌いの問題で、僕はそういう人が好きではないという話です。

 

たとえば、「○○の新曲よくない」とか「○○ってゲームつまらない」とか、よく見かけますよね。

僕も昔はそういうことを言っていました、身の程をわきまえず偉そうに。

これは極端な考え方ですけど、ネガティブを発信することはあまり意味を持たないんですよね。

「○○の新曲めっちゃいい」とか「○○ってゲーム面白い」だけ発信すればよくて、自分に合わないものをわざわざ言葉にする必要はないと思います。

 

ツイッターでいえば、僕のフォロワーにも口を開けば文句を言っている人がいます、そしておそらく彼にその自覚はないでしょう。

僕は「犬かわいい」「ラーメンおいしい」みたいなものを求めているので、「犬嫌い」「ラーメンまずい」みたいなものを見ると気が滅入ってしまいます。

別に『鬼滅の刃』が好きじゃなくてもいいんです、でも「鬼滅は好きじゃない、何が面白いのかわからない」なんて言わなくてもよくない?と思うのです。

 

一方で、たとえば"BlackLivesMatter"など、ネガティブなトピックだけど素通りできない問題もあります。

そういうものはしょうがないですし、僕自身も時と場合によってはコメントしています。

これは根底にポジティブが根ざしたものなので、前述のものとは性格が異なるという認識です。

 

また、落ち込んだとき不意に漏れてしまう後ろ向きな発言もしょうがないと思います。

これは防衛本能みたいなものですし、(あまり過度でなければ)他人を不快にさせるものではなく、場合によっては一種のSOS信号だと思っているので、傷ついてしまった人を否定するつもりはもちろんありません。

 

あとはテクニックの問題で、言い方を変えるだけで印象が変わったりしますよね。

単純に文句を文句として吐き捨てるのではなく、エピソードなどを絡めながら一つの面白い話(ネタ)に昇華できるユーモアのある人が僕は好きです。

幸いなことに僕の周りはそういう人が多いので助かっています。

 

人間、生きていれば日常の中でいやでもネガティブに見舞われてストレスを感じます。

それを日々の交友関係やSNSでも味わいたくはないし、味わわせたくもないのです。

それぞれの「好き」や「楽しい」をシェアして、ポジティブでつながりたいです。

もしネガティブになっている人がいたら、そっと励ましてあげたいです。

 

以上、最後まで読んでいただきありがとうございました。