ゲームの面白さを言語化してみた
僕はゲームが好きです。
幼少期からずっと続けている唯一の趣味です。
もっと言うと、僕はゲームをするのが好きです。
つまり、僕は好きなゲームを遊んでいる時間が好きなのです。(そりゃそうだ)
世の中には手あたり次第ゲームをプレイする雑食の怪物みたいな人も存在しますが、僕は限られたお金と時間の中で、好き(or好きそう)なゲームを厳選し、なるべく積みゲーを生まないよう努力しています。
話が逸れてしまいましたが、今回はゲームの魅力について考えてみました。
僕は漫画、アニメ、映画、音楽など、一般的な娯楽も人並みには嗜みますが、ゲームに関しては特別な気持ちを抱いています。
しかし、これの正体が長らくわかりませんでした。
なぜ僕はこんなにもゲームが好きなのか、なぜ飽きずに続けられているのか、うまく説明できませんでした。
それが最近、様々なゲームクリエイターのインタビューやライムスター宇多丸のラジオを見聞きすることで、一つの言語化に成功しました。
ゲームとはインプットとアウトプットがそれ一つで完結する、とてもクリエイティブな娯楽である。
文字にするとすごく当たり前で、お前そんなこと言うためにブログ書いたのかと思われるかもしれませんが、僕にとっては大きな発見だったのです。
漫画もアニメも映画も音楽も、クリエイターが制作したコンテンツを一方的に享受(インプット)するだけのものです。
もちろん、それを摂取した後、今度は自分で絵を描いたり、映像を撮ったり、曲を作ったりと、二次的創作(アウトプット)は世にあふれています。
しかし、ゲームは違います。
"クリエイターが制作したコンテンツ"という出発点こそ共通していますが、ゲーム内のあらゆる「情報」をインプットし、今度は同じゲーム内でそれらを駆使した「プレイ」という形でアウトプットしているのです。
また、これは同じゲーム内でしか通用せず、違うゲームを起動すればまた新たなインプットとアウトプットが求められます。
こういうタイプの遊びって探してみてもあんまりないんですよね。
例えば『スーパーマリオ』だったら、ピーチ姫がクッパにさらわれマリオが助けに行きます。
クリボーたちが道を阻み、ダンジョンは複雑になり、マリオはその問題をクリアしなければ先に進めません。
いずれも設定であり、プレイヤーはこれを「情報」としてインプットします。
ここではマップもアイテムも敵のステータスも、すべて「情報」でしかありません。
今度は、プレイヤーがその「情報」を整理しながら、頭を使って自分のやり方でステージをクリアしていきます。
それは三者三様で、それぞれが「プレイ」という名のアウトプットです。
そして、これが『星のカービィ』に切り替わると、また別の「情報」を取り込み、また別の「プレイ」が求められ、『スーパーマリオ』で得られた体験は(本質的につながっていても)あまり意味を持ちません。
以上のように、ゲームとはその世界、もっと言うとゲーム画面の中ですべてが完結する、すごく面白い遊びなんですね。
第三者から見ればコントローラー握って画面にかじりついてるだけなので少し異様な光景ではありますが、僕としてはすごくクリエイティブな発明だと思います。
MMORPGなんてのはその最たるもので、よく言われますが"そこにもう一つの人生がある"ような、インプットとアウトプットに加えて他者との交わりがありますから、マルチ系はリアルそっちのけで遊んでしまうわけです。
ところで、ゲームやってるときに使ってる脳っていつも使ってない部分な気がしてドーパミンめっちゃ出てる感覚ありません?ありませんか、そうですか。
余談ですけど、僕は将棋が好きで、将棋もインプットとアウトプットが盤上だけで完結しますね。
対戦相手が人間だったりCPUだったり、意外とゲームと似ています。
さて、なぜ僕はこんなにもゲームが好きなのか、なぜ飽きずに続けられているのか、それがやっとわかりました。
それはインプットとアウトプットがそれ一つで完結するクリエイティビティに惹かれ、またゲームごとに異なる体験が待っているワクワク感が理由でした。
新しいソフトを買って初めてオープニングが流れてメニュー画面が表示されたときの「これから始まるんだ……!」みたいなドキドキは幼少期から変わりません。
シリーズものにはシリーズものならではの楽しみがありますしね。
以前、僕の敬愛するゲームデザイナーの小島秀夫氏が、インタビューでこんなことを話していました。
映画も本もマンガも、僕が物心ついた頃にはフォーマットがすでに決まっていましたから。映画ならだいたい2時間くらいの尺で、その中に起承転結といった構成がある。できれば最初の15分で大きな爆破があったほうがいい、とか(笑)。
今はゲームにもフォーマットがあります。RPGなら全体のプレイ時間はこのくらいとか、ザコ敵とのバトルが続いているからそろそろボス敵が出てくるな、とか。そういう文化で育ってきた若いプレイヤーやクリエイターは、どうしてもそれを意識してしまうでしょう。
実際、小島秀夫氏(コジマプロダクション)が制作した『DEATH STRANDING』は、そんな誰が決めたわけでもないフォーマットを見事に崩した傑作でした。
このように、"当たり前"を逆手に取ったゲームもいずれ世に現れるでしょう。
また、この業界は技術の進歩と密接なので、次世代ハード然りゲームのクラウドサービス然り、時代が進むにつれてゲームの在り方すら変容していきます。
この世界はまだまだ面白くなりますね。
ゲームはこれからもずっと僕を楽しませてくれる、好きでいさせてくれる、そう確信した次第です。