salamipizzablog

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大丈夫、世界はまだまだ面白くなる

なんもやる気しねぇ

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なんてエバるなバカ!ってことでね。

どうも、サラミてゃんです。

 

件の嫌がらせから早一ヶ月、ツイッターを小休止中でございます。

それ自体はもう収まって音沙汰ないんですけど、なんかね、マインドがね、もう疲れちゃったなって。

いい年してSNS疲れとかしょうもないこといいたくないけどさ。

 

嫌がらせの内容が内容だっただけにもう四方八方を疑っちゃって、疑心暗鬼ってやつです。

疑いたくない人のことも消去法で疑わざるを得なくてbad入っての繰り返し。

事態を招いてしまったのは僕かもしれない、わからない、日頃の行いかな。

まあ、とりあえずツイッター見たくないな、ゲーム配信もバイブス死んでるなって感じです。

 

そのくせこういうブログ書いてかまってちゃんアピールしてるのクソださいよね、わかる。

別にそんなつもりはないんですけど、近況報告しとこうかな、と思った程度です。

 

最近はApexやってます、というかApexしかやってないです。

PSIDはツイッターと同じsalamipizzadogなのでフレンド申請お待ちしております。

一緒にわいわい遊びましょう。

Apexやらなくてもいいのでフレンドになってもらえるとうれしいです。

 

たぶん心のどこかで「またゲーム配信やりたい」とか思ってるんでしょうね。

配信に向いてるタイトルを一人で遊ぶのを避けてる自分がいます。

いつか再開したときのためにとっておこう、と。

本当だったらバイオハザード・ヴィレッジを発売日に買って配信したかったんですよ。

ほかにも配信したいタイトルをいくつか用意してて、それがめっちゃ楽しみだったので残念です。

まあ、僕の配信なんて全然面白くないですけど。

 

あと、初めてツイート全削除ツールを使ってみたんですよ。

あれすごいですね、全部なくなっちゃいました。

完全に反映されるまで数日かかるっぽいですけど、いろいろすっきりしました。

僕は変なところで潔癖なので、急にまっさらにしたくなるんですよね。

 

音楽のほうはAdoばっかり聴いてます。

天才ですよあの人、これで椎名林檎も安心して引退できます(?)

でも最近話題になった『踊』って新曲はいまいちでしたね。

GigaとTeddyLoidの持ち腐れというか、あれ乗りこなせるのReolしかいないだろ的な。

それよか一つ前の『ギラギラ』が超ハイクオリティなので、そっちで話題になってほしかった。

 

関係ないけど「Grimeやってます」って何?「UKドリルやってます」って何?

「ブーンバップやってます」とかいわないでしょ、みんなまとめてラップでしょ。

そもそもあの乗り方自体は昔からあるわけで、要はビートの違いなだけで。

ラッパーがGrimeとかUKドリルやってるってのが違和感あるんですよね。

それビートメイカーの台詞では?って感じです、知らんけど。

 

そして、『ベルセルク』作者の三浦先生が亡くなったのが本当に悲しいです。

まるでガッツが死んでしまったような喪失感、言葉になりません。

フロム・ソフトウェアのソウルシリーズを始め、ベルセルクが世界に与えた影響は計り知れません。

その昔、ダースレイダーも「蝕」という日本語ラップイベントを主催してましたね。

関係ないけど、カナダのクラブでは普通にその辺でセックスしてるらしいです。蝕じゃん。

 

とりとめのない文章になっちゃいました。

最後に、僕なんかのことを心配してくれるごく一部の人たち、ありがとうございます。

とりあえず元気でやってるので大丈夫です。

何かあればDMください。

 

追伸

ドロヘドロ』作者の林田先生の『大ダーク』って漫画がめっちゃ面白いのでおすすめです。

大ダーク

Adoにすっかりハマりました

どうも、ミーハーでブスなサラミちゃんです。

 

『うっせぇわ』で一世風靡した女性歌手、Adoさん。

ボカロPとの共同制作のおかげで、当時ボカロで育った僕は妙な懐かしさも感じます。

ボカロから離れて幾年月、その間に新たな"歌い手"たちも現れ、この界隈はこんなにも賑やかになっていたんですね。

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YOASOBIなんかもボカロの系譜(というかモロ)なので面白いですね。

歴史は繰り返すじゃないですけど、若い世代に刺さる音楽性というのは普遍的なのかもしれません。

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今回のブログはいつにも増して内容空っぽです。

Adoの新曲『ギラギラ』がめっちゃ好き。

以上、もう書くことないですね、おしまいです。

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比べる必要はないですけど、シンボリックなのであえて避けず言うと『うっせぇわ』より好きです。

声(声質、声色)がいい、歌もめっちゃうまい。

言葉をちゃんと音として表現するというか、歌詞の持つビジョンをしっかり聴き手に伝える能力が高すぎます。

そして何よりプロデューサー、エンジニア、イラストレーター、ビデオクリエイターなどなど、、、制作陣にも恵まれてます。

これで齢18、しかも宅録というんだから末恐ろしいです……。

 

『ギラギラ』で唯一気になるのは、サビ前のパートで、フレーズごとに分けて録音してる部分でしょうか。

これは僕が一本録り至上主義というわけではなく、単純に流れに違和感を覚えてしまうというだけです。

『うっせぇわ』に関してはこのぶつ切り感が不穏なフィールに一役買っていたのでむしろ好印象でしたが、今回はちょっとつまずいてしまいます。

まあ、そんなことどうでもいいくらい曲が最高なのでOKです(じゃあ言うな)

 

ということで、Ado関連の曲を聴きまくっている今日この頃です。

こんなに才能あふれるボーカルが現れるのは純粋にワクワクしますね。

もし、『うっせぇわ』でうがった先入観を持っていたり、流行りに乗っかることをためらっている人がいれば、まっさらな気持ちで『ギラギラ』を聴いてみてほしいです。

Cardi BしかりBLACKPINKしかり、タイプは違えど、"かっこいい女性"につい憧れてしまいます

あと、最近はDoja Catめっちゃ聴いてます(関係ない)

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自分が自分であることを誇らなくてもいい

こんな人望もクソもない僕ですが、ときどき恋愛相談や人生相談を受けることがあります。

僕に相談するとか頭おかしいですよね、よっぽど頼れる知り合いがいないのでしょう。

 

そんなときよく言われます。

「どんどん自尊心(または自己肯定感、自己評価など)が下がってる気がする。」

まあ、言いたいことはわかります。

自分が自分であることを誇る

なんてすてきな言葉でしょう。

この言葉を残した本人は腐り果ててしまいましたが。

 

自尊心、自己肯定感、自己評価、、、いずれもニュアンスは微妙に異なりますが、自分に対するポジティブな感情という意味では同じですね。

もっと言えば、意識的に自らを尊び、肯定し、評価する行為です。

そんなことする必要ある?というのが僕の考えです。

自らを尊ぶ必要があるのか、肯定する必要があるのか、評価する必要があるのか。

僕はその必要性も感じないしめんどくさいし、生きてるだけで偉くない?って感じです。

 

でもちゃんとそのプロセスを踏んでいる人がたくさんいます。

そして、僕に相談してくる人は往々にしてそのポイントが低いのです。

いちいちそんなことするな、とは言いません。どうぞご自由に。

でも、それって本当に必要なことでしたっけ?

それでバッド入るくらいならすぐ俺に言え。

僕があなたの代わりにあなたを尊びます、肯定します、評価します。

あなたはすごいです。

なんたって生きてるんだから、そりゃあもうすごいですよ。

加えて自分で自分を見つめ直してる、ちょっとすごすぎますね。

 

自尊心、自己肯定感、自己評価、、、確かに大事なことかもしれませんが、それに惑わされるのはすごくもったいないと思うのです。

恋人や家族、友達など、自分にとって大切な人が自分を好きでいてくれるなら、僕はそれ以外の評価なんてどうでもいいですね。

僕の好きな人たちが僕を好きでいてくれるおかげで僕は僕を好きでいられます。

みんないつもありがとう!(何の話?)

I DON'T GIVE A FUCK ソックス メンズのレッグウェア(ソックス)の商品写真

無知の恥

これは僕が掲げる人生スローガンの一つです。

「知らない」というのは恥ずべきことだ。

僕はそう考えています、これがかなり拡大解釈であることも理解した上で。

知識はまさに"なんぼあっても困らないもの"です。

あればあるだけいい、それだけ人生が豊かになります。

 

ここで勘違いされやすいのは、知識が豊富イコール偉いではないこと。

知識が豊富なのはすごいことですが、決して偉いことではありません。

 

話を戻しましょう。

実際、「知らない」ことは別に恥ずかしいことではないとわかっていますが、「知る」ことに対する姿勢を維持するためにあえて恥ずべきという意識を持っています。

しかし、この世は一歩外に出れば、いや外に出なくとも知らないことであふれています。

今こうして文字を打っているパソコン、組み立て方やパーツの値段など、知らないことだらけです。

漫画の1ページあたりの原稿料、音楽の打ち込みHowTo、ゲームのシステム設計など、知らないことばかりです。

 

一方、別に知らなくても困らない…………………………。

 

やめよう、なんかとりとめのない文章になってきたからやめよう。

言いたいこと、結論を書こう。

 

無知の恥。

知らないことは恥ずべきことである。

しかし、この世に全知の人間はいない、誰かしら何かしら知らない。

つまり、すべての人間が恥ずかしい状態でいます。

だからみんな、常に謙虚な姿勢で「知る」という行為に向き合えたらと思います。

 

知識自慢をするのもいいけど、それは他人に対してやることじゃありません。

だってあなたも知らないことがあって、その相手はそれを知ってるかもしれない。

知識はひけらかすのではなく共有するもの、自分を大きく見せるための道具ではありません。

 

無知の恥。

僕もあなたも知らないことがある、それは恥ずかしいことです。

でもすべてを知ることはできません、僕らは死ぬまで恥ずかしいのです。

じゃあ一生かけていろいろ知っていきましょう、有意義な恥をかきましょう。

何それ知らない!じゃあ知ってみよう!の精神、お互いの無知の恥を尊びましょう。

気がつけば思い出話しかしなくなったあなたへ

「あのバンド勢いなくなった」ってオマエが飽きただけ

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熱というのは往々にして冷めるものです。

それにはいろいろな理由があるでしょう。

飽きたから、もっと好きなものができたから、体力がなくなったから等々。

 

一方、趣味がないと生きていけない人種もいます。

それは音楽だったり漫画だったりいろいろあるでしょう。

ずっと同じ趣味の人もいれば、多趣味な人、次から次へ転々とする人等々。

 

今回はそんな趣味について、ちょっと長話をしたいと思います。

 

僕は一時期、狂ったようにヒップホップが大好きでした

幼稚園から高校までゲーム三昧だった少年は一転、大学の4年間をヒップホップに捧げました。

あんなに好きだったゲームを全然やらなくなったのです、漫画も読まなくなりましたね。

それくらい僕にとってヒップホップという音楽が衝撃的で刺激的だったのでしょう。

そしてレコ屋巡りやクラブ通いも始まり、いよいよ手がつけられないほどになりました。

 

大学を無事に卒業し、就職、結婚、ここで僕は一つのターニングポイントを迎えます。

就職して自分の時間が減り、結婚して嫁さんと過ごす時間が増えました。

ペットを飼ったり、一緒に映画を見に行ったり、二人で共有できるものの比重が大きくなりました。

 

そうこうしている間にどんどんヒップホップへの熱が冷めていったのです。

僕はそれまで「ヒップホップがなくなったら生きていけない」とさえ思っていました。

しかし、いざその状況になったら「案外平気かも」と思えてしまったのです。

それからというもの、病気のように買い集めていたCDやレコードはピタッと止まり、音楽にお金を落とすという習慣がなくなりました

(これについては、サブスクリプションの主流化も大いに影響しています。)

 

最初のうちはバガボンドの宍戸梅軒さながら、「ディグの螺旋から、俺は降りる」みたいなある種悟ったような気持ちでした。

けれども、ツイッターを見ていると今までと変わらずヒップホップに己の時間とお金を捧げ続ける熱心なリスナーが数多くいます。

彼らの話している新人アーティストや最近話題の新譜、全然わからなくて話について行けません。

そこで僕はツイッターのアカウントを消しました。

元々ヒップホップのために始めたツイッターだったので、役割を終えたアカウントに用はないですし、楽しそうにヒップホップを語らう彼らを見ているのがつらくなったというのもあります。

 

しかし、そこはツイッター中毒者、僕はすぐさま新しいアカウントを始めます。

それが今のアカウント、当初はゲーム用として作成した@salamipizzadogです。

(結局、ヒップホップが恋しくなってまた昔の人たちをフォローしてしまいましたが。)

 

では、なぜ大学の頃から離れていたゲームの熱が再燃したのかといいますと、当時はすでにPS4全盛期でしたが、僕は高校のときに買ったPS3しか持っていませんでした。

そして、たまたまネットで見かけた『DARK SOULS』というゲームをプレイしてみたのがすべての始まりでした。

5年以上眠り続けていた僕のゲーマーの血が目を覚まし、急ぎPS4WiiUを買い、過去の空白の埋め合わせをするかのごとく、暇さえあればゲームをするようになりました。

それと同時期にNetflixにも加入しまして、嫁さんと一緒にアニメを見るのが日課となり、これまた漫画の熱も再燃したわけであります。

 

前置きが死ぬほど長くなり恐縮です、ここから本題です。(ここから?!)

 

ヒップホップの熱が冷めた僕ですが、未だ続いているインターネットの友人はヒップホップ関係でつながった人たちが多いです。

あるとき、彼らと話していてふと気がつきました。

僕は思い出話しかしていなかったのです。

当たり前ですよね、情報が数年前から止まっているので新しいことは何も知りません。

Spotifyのプレイリストを見ても昔よく聴いた曲ばかりで新曲は数えるほど。

そのとき、とてつもない疎外感を覚えました

あ、もう僕の居場所はここにはないんだな、と。

(そう思ったから前のアカウントを消したわけですが。)

それから僕は『ヒップホップ』という大きなテーマで何かを語ることをやめました。

最前列にいない者にカルチャーを語る資格はなく、カルチャーに対しても失礼です。

そこで「もう一度あの頃のようにヒップホップを聴きまくろう!」という考えに至らなかったのが何よりの証拠ですね、もうそこまでの思い入れはないのでしょう。

もちろん、好きという気持ちは変わらないので、今でも少しずつ気になるアーティストやアルバムを聴くことはしています。

なので、最近の僕はアーティスト単位やアルバム単位でしか言及しないようにしています。

「ヒップホップとは~」みたいな切り口で語れるほど、今の僕は知識も情熱もありませんので。

 

昔好きだったものへの興味関心がなくなる喪失感はなんとも言いがたいです。

それは自分のせいかもしれないし環境のせいかもしれない、でも別に悪いことでもありません

僕の場合はゲームという趣味と再会しました、おかげでとても充実しています

 

しかし、僕の友人にこんな人がいます。

 

彼も僕と同じで、ちょっと前まではヒップホップが大好きでした、それこそ狂ったように。

今となっては熱も少しずつ冷めて、自ら掘り下げるほどの行動力はありません。

加えて、ちょっと前までは漫画やアニメも好きで、お互い好きな作品について語ることもあります。

今となっては新しい漫画やアニメを見始めても続かず、苦痛ですらあるそうです。

彼は落ち込んでいました、あんなに好きだったものへの興味関心が薄れていることに。

一言でまとめると、新しいものを摂取する体力と情熱がなくなってしまったのです。

今の彼は無趣味の状態に近く、それは趣味に生きてきた人間にとって本当につらいことでしょう。

 

ただし、これはもう一つの見方もできます。

僕が『DARK SOULS』のおかげでゲームの世界に戻ってきたように、彼も"やる気スイッチ"を押してくれるものに出会えてないのかもしれません。

たとえば○○を聴けばヒップホップにまたハマるかもしれない。

たとえば○○を読めば漫画にまたハマるかもしれない。

別にヒップホップとか漫画みたいな大きなテーマで好きになる必要もなく、特定の好きなアーティストや作品ができるだけでもいいでしょう。

 

彼に聞かれました、「君はどうやってゲームへの"好き"を維持しているのか」と。

僕は趣味というものは義務感、使命感とはほど遠い概念だと思っています。

でも残念なことに、熱というのは往々にして冷めるものです。

それにはいろいろな理由があるでしょう。

飽きたから、もっと好きなものができたから、体力がなくなったから等々。

 

そんな中、"好き"を維持するためには一定の能動性、主体性が求められます

好きだから能動的になれるのか、能動的だから好きでいられるのか。

ほとんどの人は前者でしょう、好きで好きでたまらないからどんどん進める。

 

しかし、一度その螺旋から降りた者にそんな気力はありません。

一方、趣味の本質として、無理をして好きになる必要もありません

つまり、また好きになれるものとの出会いを待ったりきっかけを作るのが理想ですが、そのためにはアンテナを張ったり、気になるものはチェックしてみるなど、最低限の努力はしなければなりませんね。

 

趣味を海とすれば、僕らは船です。(いきなりどうした?)

はじめにこぎ出すにはそれなりの努力が必要です。

一度海に出てしまえばあとは流れに身を任せるだけ。

気ままに浮かんでもいいし、仲間を増やしてもいいし、別の船と競ってもいいし、深いところに潜ってもいい。

その海が肌に合わなければ、また別の海にこぎ出せばいいのです。

 

ちょっと何言ってるかわからない感じになってきたので今回はこの辺で、ありがとうございました。

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