コジマプロダクションによる『DEATH STRANDING』(以下、デススト)が11月8日に発売された。
【PS4】DEATH STRANDING【早期購入特典】アバター(ねんどろいどルーデンス)/PlayStation4ダイナミックテーマ/ゲーム内アイテム(封入)
- 出版社/メーカー: ソニー・インタラクティブエンタテインメント
- 発売日: 2019/11/08
- メディア: Video Game
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ファンとしては待ちに待った、小島秀夫監督の独立後最初のタイトルである。
再び『A HIDEO KOJIMA GAME』をプレイできる日が来たのだ。
とりあえず30時間ほどプレイしたので、今の熱気をそのままお伝えしたい。
なお、僕はPS4 Proでプレイしており、スクリーンショットも全て実機で撮影したものである。
こんなゲームを待ってた
そう言っても過言ではない。
これほどリアリティ溢れるゲームはメトロエクソダス以来だ。
デスストには、SFの世界観に説得力を与えるものが全て揃っている。
ただのエンターテインメントでは終わらせない、僕らの小島監督節は健在だった。
それを可能にしているのが、小島監督の持つ膨大な知識量だろう。
彼の著書に軽く目を通すだけでも、無尽蔵の知的好奇心に裏付けられた貪欲な姿勢を垣間見ることができる。
究極の「お使いゲー」
昨今のオープンワールドのゲームにおいて、避けては通れないのがいわゆる「お使い」と呼ばれる要素だ。
だだっ広いフィールドをいかに有効活用するかを考えたとき、プレイヤーをあっちこっちに右往左往させるのはもはや常識だ。
最初は新鮮なマップでも、レベルが上がったり装備が強くなれば、それが単調な「作業」になってしまうのは世の理。
ましてファストトラベルが解禁となれば、そんなもの鬱陶しくてしょうがない。
しかし、デスストは違う。
デスストがどんなゲームか一言で表現するならば、荷物を配達するゲームである。
「それって全編お使いゲーってことじゃん」と誤解を招きかねないがそうじゃない。
デスストにおける基本的な流れとしては、「依頼を受けて荷物を届ける」という単純明快なもの。
そうして点と点を繋ぎ、線を描き、その線を太く強固なものにしつつ、また新たな線を描いていく。
これを地道に積み重ねることで、物理的かつ概念的に分断されてしまった北米大陸を繋ぎ直していく物語だ。
逆転の発想と再定義
重要なのは、従来のゲームにおいて「移動は手段」でしかなかったが、デスストに関しては「移動が目的」なのだ。
そして、その移動がちゃんと面白くて(これ大事)、頭が凝り固まったゲーマーとしては目から鱗で、こんな発想があったのか、と意表を突かれた。
眼前に広がる圧倒的大自然に目を奪われながらも、足元には悪路が続き、配達を阻む敵もいれば、正体不明の「存在」まで邪魔してくる。
主人公であるサムは、背中に大量の荷物を積み、転ばないようにバランスを取りながら、敵を避けたり戦ったりしながら、特殊な雨で大事な荷物が損傷しないように気をつけながら、常に細心の注意を払って荷物を運ぶ。
他者との繋がりを体感できる「ストランド・システム」
デスストにおいて、ほかのプレイヤーを視認することはできない。
ただし、彼らの足跡や建造物は自分の世界に反映されるので、間接的に他者との繋がりを感じることができる。
小島監督はこれを「ストランド・システム」と呼んでいるが、フロム・ソフトウェア社の代表作『ダークソウル』シリーズにこれの先駆けとなる機能がある。
孤独で過酷な旅の中、姿の見えない"誰かたち"によって助けられているという、なんとも心温まる仕様。
そして、デスストでは他者の建造物に対して「いいね」を送ることもできる。
最近のオンラインPvPに疲弊していた僕としては、こういったポジティブな感情で世界中の人たちと繋がれることは本当に理想的で気持ちがいい。
現実世界に戻ったとき、この「思いやり」をそのままアウトプットできる人間になりたいし、それこそが小島監督の願いだろう。
PS Plusに加入していなくても、インターネットさえ繋がっていればその恩恵を受けられるのは嬉しい。
とにかくしんどい
そして、僕が一番面白いと思ったポイントは、このゲームは本当に疲れることだ。
リアリティを追及する上で、「現実と相違ない精神的かつ肉体的な苦労を強いる」ことはとても効果的だ。
リアル志向といわれるゲームが数ある中、デスストは一つの到達点かもしれない。
世界中のプレイヤーと間接的に繋がるものの、システム起動に至るまでの道のりはどうしても孤独で、それまで緊張を維持するプレイヤー自身も疲れるし、目的地に着いても帰り道があるので、手ぶらで帰るのもなんだから新たな配達を受注して、結局ずっと何かしら配達している状態になる。
やっと一通りの配達が終わって落ち着いたとき、僕もコントローラーを置いて目を閉じて深呼吸する。
映画とゲームの完璧な共存
そして気がつく。
没入感に優れたゲーム特有のあの感覚。
僕は主人公を操作しているのではない、主人公そのものと同化している。
僕は今までの小島監督作品をプレイするたびに、「映画みたいだな~」なんてこぼしていた。
それはストーリー展開やカットシーンの演出に起因するところが多かった。
デスストはさらにその上を行く。
無心でひたすら荷物を配達する、そんな当たり前の風景さえもさながら映画のワンシーンのようだ。
映画を観ているだけでは、自分が主人公になったかのような体験は難しい。
ゲームという媒体だからこそ、それが可能になる。
まるで実際に映画をプレイしているような新しい没入感、いうなればデスストは「プレイする映画」といった感じ。
小島監督は、自身のメタルギアシリーズで確立した「映画みたいなゲーム」という枠組みを、今度は「映画とゲームの完璧な共存」という、いまだかつて誰も成し得なかった革新的なアートフォームによって上書きしてみせたのだ。
KOJIMA IS GOD
僕は「○○は神」とすぐ口走るような妄信的なファン(信者)を軽蔑している。
しかし、少なくとも僕はこんなゲーム体験を今まで味わったことがない。
万人受けするような派手さはなく、一貫して地味なゲームではある。
しかし、少なくとも僕はこんなに創造的で革新的なゲームを今まで見たことがない。
小島監督のことを世界中が口を揃えて"KOJIMA IS GOD"と称賛する。
もしも、デスストを「神ゲー」と評するのならば、その生みの親は「神」と呼んで差支えないだろう。